【都市伝説】日本の歴史から消された謎の古部族「サンカ」調べたらいけないと言われている理由が怖すぎる

今回は日本歴史界のタブーに触れてしきます。

皆さんは日本に先住民いたのか疑問に思ったことはないですか?

例えばマヤ文明を築いた「マヤ人」当時では考えられない文明を築いていたが、突然消えてしまった、そんな文明が日本にも存在していたと言われています。

それがサンカ

サンカと言われる民族がいました。

 

実は写真も残っている。

f:id:Effortsps:20220120190133j:plain

f:id:Effortsps:20220120190204j:plain

f:id:Effortsps:20220120190220j:plain

しかし、私たちは「サンカ」について知る機会はあまりないですよね。

その理由は、権力者によって歴史から消されたからとされています。

 

謎の民族「サンカ」

今から約2万年前、日本列島には縄文人がいた時代。

そこから約2400年ほど前に弥生人が渡来して縄文人弥生人が混ざり合った「ハイブリット民族」が日本人と言われている。

当時から弥生人(外国人)と結婚をしたくない人も存在し血が交わることを嫌がった1部の人たちがいた。

そんな人たちどうしたかと言うと山に逃げたと言われていてその末裔が「サンカ」だ。

歴史の影に隠れて純粋な縄文人は生き続けたと言われており、少なくとも1950年半ばまでは生き延びていたと確認されている。

1950年以降は確認されていないのか?と疑問に思いますよね。

そこが今回では1番闇の深い部分になります。

「サンカ」の名前が最初に出てきたのは江戸時代末期のことで北海道の名付け親である「松浦式四郎」が現在の岐阜県の山の中で参加の人達と出会った。

f:id:Effortsps:20220120190251j:plain

旅の途中で松浦式四郎は病に倒れてしまった際にサンカの人たちに助けてもらったとされていて、その後、彼らの集落に招かれることになる。

その時のことを松浦式四郎は「男はキリッと凛々しい顔立ちで目力がある。しかし雰囲気は穏やかであった。女性は美人な人が多い。皆手先が器用で真面目な人たちだった。」と語っている。

彼らは「ヤエガキ」という厳しい起きてに従い生きる誇り高き人たちだったとのこと。

その掟とは、弱者に優しく困っている人を村で匿うことも多かったと言われている。

生活スタイルは、縄文人と同じように鹿や猪を狩ったり、川で魚を釣り、木の実やキノコを集めて食べていたとされている。

松浦式四郎がサンカと出会った1835年は「人別長」という戸籍制度で住む場所を管理されており、農民も町民も代々の仕事を注いで住居を変えないのが一般だった。

しかし、サンカ達は少し違い「移動民族」だったとされている。

なので政府が戸籍などを作る際にサンカの人数が把握できていなかった。

そして、文明開化が始まった明治時代に「ある政策」が行われる。

それが

サンカ潰し

そう「一族殺し」が政府によって行われたのだ。

1890年代は、日中戦争日露戦争など多くの戦争が勃発していた時代、そこで必要になるのが「兵隊」しかし、招集をするにも住所不定のサンカの人たちをどうやって集めるのか政府は考えた。

政府は一旦調査をすることにし調査の結果なんと20万人近くいることが発覚

当時の山の中にいる人の印象は夜逃げした人達や山賊がいるというイメージだった。

つまり、犯罪者予備軍が山の中にいたと言われる時代、その「犯罪者予備軍を捕まえる」と言う名目で、警察による逮捕が始まった。

その際政府はサンカを山窩と漢字で描くようになる、その「窩」という字には「穴蔵」という意味があり、要するに「山の中の穴蔵で暮らしているヤツら」と差別的な意味が込められている。

その際に捕まった人達は、現在で言う職業訓練を受け街で暮らすようになっていった。

この政策により、山で暮らすという伝統的なスタイルは壊されてしまった。

昔ながらのスタイルで暮らすサンカは1万人まで減っていたとされていて、19万人も職業訓練をするのはとてもじゃないができることではない。

しかし、政府はサンカの本当の正体を暴くために行ったと言われていて、その正体と言うのがサンカの人達は出雲族の末裔なのではないかと言われている。

日本人の多くはヤマト一族の末裔だと言われている。

ある学者によれば「九州にあった弥生系のヤマト王朝が出雲にあった縄文系の出雲王朝と争い、やがて勝利して日本を手に入れた」と言っていて。

つまりは多くの出雲族である縄文人がヤマト族の弥生人に制圧を受けたとされている。

この出来事は「古事記」にもぼかされながらも記されている、その内容が「アマテラスの子孫であるニニギが、スサノオの子孫であるオオクニヌシから日本を譲り受ける」と記されている。

これが出雲族とヤマト族を表しているのではないか?とされているのだ。

 

実際にサンカの人達の中には、日本語を話す人もいたとされているがサンカの人達が使ってたとされている文字が神代文字とされている。

【*神代文字の話もとても闇が深いので是非調べてみてください】

やはり2万年前らか文明を築いてきたサンカの人々は独自のネットワークを構成していて、そのネットワークが

シノガラ

シノガラとはピラミットの構造の組織形態で各地を放浪する集団には長がいたとされており、全国の仲間達と連絡を取り合っていたとされている。

サンカ研究家の三角さんは、当時のサンカのかたに聞き取りを行った。

その聞き取り調査によれば、参加の男子は12歳になると現在の兵庫県に集まり忍者の訓練を受けていたらしく、サンカの若者は力を付け同時に横の繋がりを作っていた。

そのネットワークこそが「シノガラ」とされている。

また、歴史に登場する有名な服部半蔵などの忍者も何かしらサンカとの関わりがあったとされていて、サンカの最高指導者自身も忍者の頭領として「乱裁道宗」と呼ばれていたことがわかっている。

忍者と活躍した一方あの「八咫烏」とも敵対関係にあったとされている。

【*八咫烏=日本最古の秘密結社】

 

なぜ、政府はサンカの人達を潰そうとしたのか?

それは

お金

というとサンカは莫大な資金を持っていたと言われていて、忍者として活動する上で得た情報は戦においてかなりのお金になる為サンカはかなりの資金を持っていると言われている。

この「シノガラ」には労働組合みたいなものが存在し、困っているサンカの人は助け合わないといけないとルールがあり、移動を繰り返すサンカは田んぼや蔵っは持っていなかった。

みんなが持つ共通のものとして資金を持っているという認識で保持していた、その金額がなんと数兆円以上と言われている。

実際に、シノガラのボスは「オーモト様」と言われており、そのオーモト様は現在スイスにいるとされている。

さらに、「シノガラ資金」と呼ばれているお金はスイス銀行に預けられ、そこで運用されていると言われている。

そしてシノガラは、日本にいるサンカを助けるために保有している資金を使ってアメリカ政府と連携し戦後の日本政府を乗っ取ろうと考えていたとされている。

しかし、戦後のアメリカあ日本の天皇家の力が強いと考え、その約束を破り、フリーメイソン支配下にある日本を作ってしまったと言われている。

つまり、サンカはフリーメイソンの敵なのである。

実際今現在サンカの人はどこにいるのか?など疑問がありますよね、しかし多くの民族学者がこれ以上サンカを調べることに警告を鳴らしている。

今回の赤字のところをつなげると答えは出るかもしれない、しかしこれ以上調べるのは自己責任でお願いします。

88_31.gif

88_31_1.gif

88_31_2.gif

88_31_3.gif

88_31_4.gif